大判例

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東京高等裁判所 平成6年(う)1号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人葭葉昌司及び同林功が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官淡路竹男提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決は、「被告人が原判示の日時、同判示の交差点直前付近において、その運転する普通乗用自動車を被害者であるAの運転する自動二輪車の後部に追突させて同人を自動二輪車もろとも転倒させ、その結果同人に傷害を負わせて死亡させた。」として傷害致死の事実を認定しているが、同交差点直前付近で被告人運転の普通乗用自動車はAの運転する自動二輪車に追突していないし、また、意図的に追突するという暴行の故意もなかったから、被告人は無罪であり、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかし、原審記録及び当審における事実取調べの結果によれば、原判決の認定事実のうち、「被害者が最終停止時自動二輪車とガードレールに強く挟み込まれていたわけではない。」などとする点については事実の誤認があるが、その余の事実はおおむね是認できるのであって、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるとは認められない。

すなわち、原審記録及び当審における事実取調べの結果によれば、おおむね次の事実が認められる。

被告人は、かつて暴走族に自分の普通乗用自動車(以下「被告人車両」という。)を傷つけられたことがあり、暴走族を快く思っていなかったところ、平成三年一〇月二〇日午前四時四〇分過ぎころ、東京都大田区北馬込一丁目一六番先交差点で、A運転の自動二輪車(以下「被害車両」という。)が爆音を立てながら信号を無視して走行するのを見て、暴走族が暴走していると思って腹を立て、同車を追跡して停車させて意見をしようなどと考え、被告人車両を運転して環状七号線をパトカーのサイレンを模したミュージックホーンを鳴らしながら被害車両を追跡し、被害車両が同区北馬込一丁目二一番一号先交差点を右折して幅員五メートル強の起伏のある道路を進行していったことから、被告人車両も右折して同道路をほぼ北から南に進んで追跡を続けたが、被害車両が容易に停車しないばかりか蛇行運転などをしたために、からかわれていると思ってますます憤慨し、途中で自車前部を被害車両に追突させ、同区中馬込一丁目二〇番一六号先の東西に通ずる道路と交差して丁字路となっている交差点(以下「本件交差点」という。)直前付近において、自車を時速約三五キロメートルまで加速させ、自車前部を被害車両後部に追突させてAを被害車両もろとも転倒させる暴行を加えた。その結果、被害車両は左横転して路面を滑走して同交差点南側に設置されたガードレールに衝突し、被害車両前輪をガードレールの下をくぐらせて停止したが、その車体右側面の上に身体をうつ伏せにして乗せていたAはガードレールに挟まれるなどして胸腹腔内臓器損傷等の傷害を負い、まもなく同傷害により死亡した。

なお、被告人車両は直進して被害車両の左側で前部を同ガードレールにほぼ直角に衝突させ、同ガードレールの歩道側に設置してあったカーブミラーの支柱にも衝突しこれを押し曲げて停止した。

以上の事実が認められるところ、所論(当審弁論を含む。)は前記のとおり本件交差点直前で被告人車両が被害車両に追突した点を争うなど種々の主張をするので、以下補足して説明する。

一  客観的証拠による本件交差点直近の追突についての検討

1  被告人車両と被害車両に残された追突等を示す痕跡

(1) 被告人車両に残された被害車両の痕跡等

被告人車両には車体前部右側を中心に被害車両と接触したことを示す痕跡が複数あり、このうち被告人車両に残された被害車両に追突したことを示す主たる痕跡を中心に見ていくと、次のようなものがある。

ア 被告人車両前面の中央やや右側には、バンパースカート上部からナンバープレート、バンパースカート下部、さらにはずれたエンジンアンダーカバー(エンジンロワーカバー)にかけて、下から上への方向性のある濃い黒色ゴム皮膜が最大幅約一五センチメートルに及んで溶融状に付着するなどしていて、ナンバープレート中間より下方は全体的に後方へ押し込まれている。そして、ナンバープレート右側の固定螺子の位置から右端までの、中間から上方の黒色ゴム皮膜の一部は右斜め上方への方向性を示している。これらの黒色ゴム皮膜は被害車両後輪のタイヤと同種のものである。これらの上方にあたるボンネット先端部には擦過痕があり、そこに被害車両のリアフェンダー(リアカウリング)下縁の塗膜と同種の塗膜が付着している。これらの痕跡を、以下「中央付近の追突痕」ということがある。

イ 被告人車両前面のナンバープレート部に付着した右ゴム皮膜のほぼ中心から右側に向かって約二二センチメートル離れたエアダクト部分にも、左右幅約一八センチメートル、上下幅約一・二センチメートルの範囲に黒色ゴム皮膜が擦過状に付着し、その真上のバンパースカート部にも同様に黒色ゴム皮膜が付着している。このエアダクトの、地上高がナンバープレートと同じ高さに相当する部分には、右黒色ゴム皮膜のほかに、強い擦過痕がありエアダクト素材の溶解片が付着している。これらの痕跡を、以下「エアダクト付近の追突痕」ということがある。

ウ 被告人車両前面ナンバープレートの中央のやや左側の部分にも薄く同様に黒色ゴム皮膜が付着している。この痕跡を、以下「薄い追突痕」ということがある。

エ その他、被告人車両フロントバンパー右側面には、被害車両の燃料タンクの塗料と一致する赤黒色の塗料が付着し、その方向は前方から後方で、当該部分はわずかに凹損している。また、被告人車両の右前照灯等に生地痕などが印象されている。

(2) 被害車両に残された痕跡

被害車両には、次のような被告人車による追突ないし接触の痕跡がある。

ア 被告人車両のボンネット先端部とほぼ同じ地上高にある被害車両のリアフェンダーは、固定部分が破損し可動状態となっていて、下面両側には擦過痕、塗装剥離がみられる。

被害車両の尾灯ケースは、その前面レンズ部分が通常の装着方法とは上下及び左右を逆にして取り付けられていたのが、上方に押し込まれて破損し、内部に取り付けられていた左右二個の電球のうち左方が破損していて、電球周囲の各リフレクターがいずれもほぼ左右一様に押し曲げられているが、その程度は上側部分よりも下側の方が深い。尾灯ケース台板は強固な金具を素材としているのに、その下縁全体が一様に前上方に押し曲げられている。

イ 被害車両の後輪タイヤトレッド部には被告人車両のエアダクト素材と同種の黒色のポリプロピレンの皮膜が付着し、この皮膜は傷や汚れのない状態であった。

ウ 被害車両の燃料タンクは約五センチ程度前方に押されて移動し、その右側角部には塗料が剥離した擦過がある。

(3) (1)及び(2)からの推論

これら両車両に残された痕跡によれば、少なくとも被告人車両前部が被害車両後輪タイヤ等に三回追突し、更に被告人車両フロントバンパー右側面が被害車両の燃料タンク右側角部と接触していること、三回の追突のなかでは、被告人車両前部中央やや右側付近のボンネット先端部、バンパースカート上部からナンバープレート、バンパースカート下部、エンジンアンダーカバーにいたるまでの被告人車両前部中央の縦に連なる部分と被害車両のリアフェンダー、尾灯ケース前面レンズ及びその台板、後輪タイヤとが衝突し「中央付近の追突痕」を生ぜしめた追突の際の衝撃が、相当強度であったと認められる。そして、

ア 「中央付近の追突痕」のうち、上下の方向性のあるゴム皮膜の付着は、被告人車両の右前面部分が前進回転する被害車両の後輪タイヤに短時間ではあるが継続的にかなり強く擦れ合ったこと、一部右斜め上方への方向性のあるゴム皮膜は被害車両が左傾したことを示し、ナンバープレートの下方部分が押し込まれていることは、被告人車両が被害車両の後輪に追突して乗り上げたことなどを物語る。なお、被告人車両の同部分の最大永久変形量は約一五センチメートルであるが、この部分は被告人車両がガードレールに衝突したときに歩道側に立てられたカーブミラー支柱にも衝突してこれを押し曲げたことによる変形が加わっているから、追突による変形は一五センチメートルより少なかったものと認められる。また、エンジンアンダーカバーにバンパーとほぼ同幅のタイヤ痕が印象されているのは、バンパーが後退変形した際の衝撃余波で止め螺子等が外れた結果被害車両後輪と擦れた痕跡と考えられ、このエンジンアンダーカバーの通常装備されていたときの深さまで被害車両の後輪タイヤに乗り上げたとするのは他の部分の変形状態との比較から否定される。

また、被害車両の尾灯ケースの取り付け位置を正確に特定することはできないが、おおよその中心地上高は七四センチメートルであり、同ケースと被告人車両との衝突部位は被告人車両の脱落したフロントグリル上部付近でボンネットフードロックよりわずかに右側付近と推定される。この部分にフードステーがあることによる構造的強度からすると、強固な金具を素材とした台板等尾灯部分との衝突による反発に伴う弾性力は決して低く評価されるものではない。

イ 「エアダクト付近の追突痕」は、「中央付近の追突痕」のゴム皮膜の付着部分とは離れた位置にあり「中央付近の追突痕」と同一時点で発生したものではないが、強い擦過痕とゴム皮膜の付着があると同時に素材は溶解し上方に変形するなどしており、「中央付近の追突痕」のナンバープレートのゴム皮膜付着と同様な状況下で生じたものと認められる。他方、被告車両の後輪タイヤトレッドに被告人車両のエアダクト素材が傷や汚れのない状態で皮膜として付着していることは、被害車両の後輪と被告人車両のエアダクトが被害車両停止地点に近接した地点で追突ないし接触したことを物語る。

ウ 「薄い追突痕」は、被告人車両のナンバープレート中央左側付近と被害車両後輪とが接触したことを物語る。

エ その他の接触等の痕跡については、後述するとおりである。

(4) 所論に対する判断

ア 所論は、被告人車両前面中央のやや右側部分で、被害車両のタイヤゴム皮膜が付着していると鑑定されているのはナンバープレート部分だけであり、バンパースカート上部からナンバープレート、バンパースカート下部、エンジンアンダーカバーにまで被害車両の黒色ゴム皮膜が付着しているとはいえないから強く追突したとはいえないなどと主張する。しかし、被告人車両を見分した実況見分調書(甲九)でも藤岡弘美(以下「藤岡」という。)作成の「衝突状況等に関する捜査報告書」(甲三二、以下「藤岡報告」ということがある。)及び同人の原審供述でも、「塗料様のもの」の付着、「塗膜」の剥離、「ゴム皮膜」の付着等を区別したうえで被告人車両の前面中央付近にはナンバープレート部分以外の部分にも(黒色)ゴム皮膜の付着が認められるとしており、かつ、このような黒色ゴム皮膜が右各部分に付着したのが別個の原因に基づくとは考え難いことからすると、鑑定書(甲三八)において被告人車両フロントナンバープレート部分から採取した黒色様ゴム皮膜につき被害車両後輪タイヤから採取したタイヤゴムとの同一性が認定されている趣旨は、それ以外の部分に付着するものとされている(黒色)ゴム皮膜についても及ぶものであると認められる。そして、これら黒色ゴム皮膜の付着が濃く、かつ、右のような広範な部分に及んでいること、バンパー等が後方に押し込まれていることなどから、「中央付近の追突痕」部分に強い追突があったと認めるのが相当である。

なお、所論は、被告人車両のエアダクトに付着している黒色様皮膜は鑑定書(甲三八)によればプラスチック(ポリプロピレン)であるとされているから、同部分に付着しているものを黒色ゴム皮膜と認定するのは誤りであると主張する。

しかし、右鑑定書において鑑定の対象となった物は、右エアダクトに付着の黒色様皮膜(素材及び付着皮膜)であり、その鑑定結果によると、右対象物は被害車両のタイヤのスチレンブタジエンゴムとは相違し、被害車両後輪タイヤに付着した黒色様塗膜片の材質であるポリプロピレンと同種(熱可塑性プラスチックが擦過し、摩擦による熱と力により生じた薄膜)であるというもので、要するに右対象物はエアダクト素材であるというに過ぎず、他方、前記実況見分調書及び藤岡鑑定に記載されているのは黒色「ゴム」皮膜であって、前述のように「塗料様のもの」などと区別して記載されていることからすれば、右鑑定の対象物と右黒色ゴム皮膜とは別のものであることが明らかであり、被告人車両エアダクト部に右黒色ゴム皮膜が付着していたと認められる。

イ 所論は、被害車両のリアフェンダーの高さは被告人車両のボンネットの高さより低いから、リアフェンダーとボンネットが接触するという事態は、被告人車両がブレーキを掛けてノーズダイブを起こして前方が沈んだ後に追突したことによるとしか考えられず、また、リアフェンダーの素材はプラスチックであって破損しやすいのに左側取付部に割損がある以外ほとんど損傷がないことから、勢いよく追突したとはいえないとも主張する。しかし、被害車両のリアフェンダーの高さは八四センチメートルであり、被告人車両のボンネットの高さは損傷後では八九センチメートルであるが、損傷前では八一・五センチメートルであったと認めるのが相当であるから(逸見和彦作成の鑑定書(当審検察官請求証拠四)及び同人の当審供述、以下「逸見鑑定」ということがある。)、リアフェンダーが被告人車両のボンネットと接触するために同車両がブレーキを掛けてノーズダイブを起こす必要はないというべきである。そして、リアフェンダーは、下面両側が被告人車両のボンネットと接触しても、シート(サドル)とともにボンネットによって押し上げられるから、破損しないことが不自然とはいえないのであって、勢いよく追突したかどうかについての判断に決定的要因とはいえず、所論は採用することができない。

ウ 所論は、被害車両の尾灯ケースの前面レンズが上方に押し込まれていたのは、池上警察署において被害車両の実況見分調書(甲四)作成のための写真撮影時にリアフェンダーを元に戻したのと同様に、尾灯ケースの前面レンズを押し込んで撮影したとしか考えられない、また、尾灯ケース台板の変形は転倒した被害車両の尾灯に被告人車両の右前端バンパースカート部が接触したことによっても起こり得るのであり、勢いよく追突したとする理由の一つとすることはできないなどと主張する。しかし、右実況見分調書によると、尾灯部分は前上方に押し出され、しかも変形していたと認められる。すなわち、リアフェンダーについては、本件現場において右側に回転移動していたものを実況見分時までに元に戻してあったとしても、尾灯部分については、実況見分のための写真撮影時にことさら前面レンズを押し込んでから撮影する理由がないこと、本件発生直後に現場で撮影した写真撮影報告書(甲三)の写真番号12番には尾灯台板及びリフレクター部分だけが撮影されていて尾灯ケースの前面レンズは撮影されていないことからすると、本件直後から右前面レンズ部分は上方に押し込まれていたと認められる。そして、金属性の尾灯台板が曲変形しているのに、被告人車両の右前端バンパースカート下部と被害車両の尾灯台板のいずれにもその接触を示す痕跡がないことなどに照らし、両部が接触して右変形が生じたとする所論は採用できない。

2  路面に残された被害車両の痕跡

本件交差点直前及び交差点内の路面にはタイヤ痕及び擦過痕が印象されていて、これらの痕跡は、以下の理由により被害車両によるものと認められる。

(1) 印象されていたタイヤ痕及び擦過痕

印象されていたタイヤ痕及び擦過痕は次のとおりである。

ア 本件交差点手前の路上の道路標示「止まれ」のうちの「ま」の地点付近に、ほぼ南北に走る長さ約一・五メートル、幅が始点では約七センチメートルで最大幅が約一二センチメートルで、中央部分にはっきりとした空白帯のあるスリップ状タイヤ痕(以下「〈1〉のタイヤ痕」という。)。

イ 〈1〉のタイヤ痕の南端から約二・二メートル南方の地点から道路標示「止まれ」の「止」の地点付近に、ほぼ南北に走る長さ約〇・七五メートル、幅約九センチメートルで、被害車両の進行方向に向かって右側(西側)が濃く、左側が薄いスリップ状タイヤ痕(以下「〈2〉のタイヤ痕」という。)。

なお、原判決は〈2〉のタイヤ痕にも空白帯があるように認定しているが、所論が指摘するように、このタイヤ痕には中央部分に明確な空白帯を認めることはできない。

ウ 〈2〉のタイヤ痕の南端から約〇・九五メートルの地点から道路標示停止線付近に、ほぼ南北、若干右斜め前方に走る長さ約一・三メートルの一条痕で、中央部分の黒色の条痕を境界として左縁側は濃く右縁側は薄くゴム皮膜が付着し、この中に左斜め前方に走る条痕を伴うスキッド条タイヤ痕(以下「〈3〉のタイヤ痕」という。)。

エ 〈3〉のタイヤ痕の南端から約一・三メートルの地点から本件交差点内に、ほぼ南北、右の方に僅かに湾曲して走り、被害車両の最終停止地点まで続く長さ約四・五メートルで、始点から前半部分が一条、わずかにガードレール方向に移行したところから二条となっており、その中に錆やアルミの削り屑が付着した擦過痕(以下「〈4〉の擦過痕」という。)。

これらの痕跡が認められる。

(2) これらの痕跡が被害車両によるものであること

これら〈1〉ないし〈4〉のタイヤ痕と擦過痕については、

ア 被告人車両及び被害車両がガードレールに衝突した直後に実況見分したところ、いずれも真新しく、被害車両が進行して停止した地点に向かってほぼ一直線上に印象された痕跡であること、

イ 〈1〉のタイヤ痕は、タイヤ痕の印象幅が約七センチメートルから徐々に幅広となっていき、途中から空白帯の中に左斜め前方に向かう条痕が混じり、始点から一メートルくらい進んだあたりから右方に緩やかに弧を描いており、進行中の車体が左右に揺れ動くヨー運動という自動二輪車の車体特性による運動が作用しているもので、横滑り状態ともなっていることを示していること、

ウ 〈2〉のタイヤ痕は、右縁が強く左縁が弱い付着状態で、濃い痕跡部分では強くゴム質が付着しているなど〈1〉のタイヤ痕とほぼ同じ状態が見られ、濃淡が不揃いで幅にも斉一性がないことなどから、自動二輪車特有の若干横滑りしていて車体が左傾している状態を示すタイヤ痕であること、

エ 〈3〉のタイヤ痕は、左縁側の右側が濃く左斜め上方に走る条痕を伴っており、車両が左傾するとともに車輪に切れ角を生じていたために、タイヤトレッド部の左側部分が滑りながら前進したことを示しており、車体がすでに傾斜して横滑りするスカーフという自動二輪車特有の前輪のタイヤ痕であること、

オ 〈4〉の擦過痕は、始点をわずかに過ぎたところから二条痕となっていて、被害車両の左側サイドスタンド基部及びメインステップ基部等が接地して擦過した痕跡に対応するものとなっていること、

カ そのほか、被害車両の左ハンドルは逆V字型に変形しその外側部の突起部分に擦過があり、計器左側面及び前輪左側全周等にも擦過痕があり、被害車両が左側面を下にして転倒していたこと

などの事実に照らすと、〈1〉ないし〈4〉のタイヤ痕及び擦過痕は被害車両により印象され、そのうち〈3〉のタイヤ痕は前輪によるものであり、被害車両が左傾しかつ右転把しながら走行して車体の左側を下にした形で転倒し、そのまま交差点内を滑走してガードレール付近で停止したと認められる。

(3) 所論に対する判断

ア 所論は、これらタイヤ痕が真新しいということは、実況見分調書にも、藤岡報告にも一切記載されていないのに、本件後約五か月経過してから藤岡が原審で突然供述したもので、被告人を有罪にするために無理矢理にした供述と考えられ、直ちに信用できるものではない、と主張する。しかし、藤岡の右供述(原審第三回公判)は、同人が本件発生直後に警視庁交通部交通捜査第一係長として現場に赴いて調査し、〈1〉ないし〈3〉のタイヤ痕がいずれも手で触れるとカーボンが手に付いてくること、爪を立てると柔らかいこと、表面の汚れは全くないことから真新しいものと判断したという具体的事実を挙げてのものであって、その内容自体から信用できるうえ、本件直後の実況見分時(甲二)から〈1〉ないし〈4〉の路面のタイヤ痕や擦過痕等が見分の対象として取り上げられていること、藤岡のみならず本件捜査を担当した警察官諸岡実も本件発生当日午後三時ころ現場に行き、一見して新しいタイヤ痕が三か所にあったのを目撃していることからすれば、〈1〉ないし〈3〉のタイヤ痕は本件発生直後の真新しいものであったと認められる。

イ 所論は、〈1〉ないし〈4〉のタイヤ痕及び擦過痕が被害車両の停止位置までほぼ一直線上に印象されていたからといって、その全てを直ちに被害車両によって付けられたものと速断することは、関係のない証拠を事故の証拠とし、事故原因についての判断を誤る結果となるし、また〈1〉のタイヤ痕は乗用車の片方のみのタイヤ痕の可能性がある、と主張する。しかし、原判決の説示するとおり、〈1〉ないし〈3〉のタイヤ痕がいずれも真新しくほぼ一直線上に沿って印象されていること、〈1〉のタイヤ痕の始点が本件交差点入り口から約六・七メートル手前にあって幅五・一五メートルほどの道路の東端から約二メートルのところに一本だけあることに照らすと、〈1〉のタイヤ痕だけが他の乗用車によって印象されたというのは不自然で合理性がないこと、その他これらタイヤ痕等が他の車両によるものであることを窺わせる具体的事情がないことからすれば、〈1〉ないし〈4〉のタイヤ痕および擦過痕は被害車両によるものと認定するのが相当である。

3  タイヤ痕発生の原因(路面に印象された被害車両の少なくとも〈1〉のタイヤ痕は被告人車両が被害車両に追突したことによること)

(1) 空白帯現象の発生原因

藤岡報告及び同人の原審供述によれば、(1)のタイヤ痕のようにスリップ痕に空白帯が生じるのは、後輪タイヤを〇・二五気圧以下に減圧して走行中ブレーキを使用した場合とこれに限界以上の荷重(外圧)が作用した場合とがあると認められるところ、被害車両の後輪タイヤの空気圧は一・五気圧であったから、前者の場合の可能性は否定される。また、後者の場合に関し、一・五気圧の同種タイヤを使用してロックした状態で実験した結果では、荷重一〇〇キログラムでは印象幅は約六・〇センチメートル、二〇〇キログラムでは印象幅は約七・五センチメートルとなるがいずれも空白帯は発生しないのに対し、三〇〇キログラムとなると印象幅が約九・五センチメートル、四〇〇キログラムとなると印象幅が約一〇・五センチメートルで、いずれも空白帯が認められる。

所論は、被害車両の後輪タイヤの空気圧を一・五気圧とするのは藤岡の原審供述しかないのでこれを直ちに信用することはできない、と主張する。しかし、藤岡は、車両の衝突事故の解析に際し空気圧の検査は必ず実施することであり、本件当日も実況見分終了後に自分で被害車両の後輪タイヤの空気圧を測定すると一・五気圧よりやや少ない程度であったと供述(原審第三回及び第四回公判)しており、これを否定すべき事情はなく、同供述は十分信用できる。

(2) 被害車両の後輪にかかる荷重

前出各証拠のほか、林洋作成の鑑定書(甲六六)及び同人の原審供述によれば、被害車両の後輪に通常かかる荷重は、運転者の体重を含めても一二〇キログラム前後であるから、通常の運転状況のもとでは被害車両後輪によるタイヤ痕に空白帯は生じないと認められるが、前述したように、〈1〉のタイヤ痕の地点では印象幅約七ないし一二センチメートルで空白帯のあるタイヤ痕が生じている。そうすると、前記実験の結果からみて、このタイヤ痕が印象されたということは、一応その地点で三〇〇ないし四〇〇キログラムというような相当の荷重が被害車両の後輪にかかるという異常事態が発生したことを意味すると認められる。

(3) 本件空白帯の発生原因

前出各証拠によれば、その異常事態として、被告人車両との追突が考えられる。すなわち、乗用車が自動二輪車に追突した場合、自動二輪車の後輪タイヤには、乗用車の車体との接触による制動効果が生じることにより、路面との接触でも高いスリップ率の摩擦状態となる。そして、タイヤを路面に押し付ける力として重力のほかに乗用車の車体との摩擦力が付加されるので、路面に押し付けられるタイヤ幅が広くなるとともにタイヤと路面間の摩擦抵抗力も増加するから、タイヤ痕幅が広くなるとともにタイヤ痕が鮮明になる。さらに、本件のように走行中に衝突した場合には、衝突の過渡的状態における慣性力も考慮しなくてはならず、衝突時の速度差が大きいとそれだけタイヤを路面に押し付ける力が大きくなる。前記タイヤに対する荷重実験を基にした計算上では、被告人車両と被害車両の追突時の速度差が時速六・四キロメートル程度あれば、被害車両の後輪に四〇〇キログラム程度の荷重がかかることになる。そのうえ、本件において「中央付近の追突痕」が印象された際の追突では、被害車両の後輪タイヤが被告人車両前部のナンバープレート等垂直面を下から上へ擦り上げるだけではなく、ナンバープレートの中間から下方を後方へ押し込んでいて、その永久変形量が一五センチメートル未満であったことからすると、被告人車両の前軸重量九三〇キログラムの約三、四割が被害車両の後輪に徐々に加わったものと認められる。本件において〈1〉のタイヤ痕がその幅を変化させかつ空白帯を伴って印象されている理由は以上のように説明できる。

(4) 所論に対する判断

ア 所論は、要するに、江守一郎作成の「実験に関する鑑定書」及び同人の当審供述(以下「江守新鑑定」という。)を基に、被告人車両が被害車両に追突した場合には、ほんのわずかな速度差でも被告人車両が被害車両に乗り上げてしまい、両車両は離れないから弾性衝突ではないところ、本件は、被害車両のタイヤ痕が〈1〉ないし〈3〉のタイヤ痕のように飛び飛びに付いていること、最終停止地点で被告人車両が被害車両に乗り上げていないことからみて、被告人車両が被害車両に本件交差点付近で追突したとはいえないなどと主張する。

江守新鑑定は、被告人車両及び被害車両と同車種で同性能の各車両を使用して実験し、乗用自動車が自動二輪車に追突した場合はわずかな速度差しかなくとも自動二輪車の後輪に乗り上げてしまい簡単に離れないなどの結果を導き出している。しかし、同鑑定については、〈1〉実験に使用した自動二輪車を被害車両と比較すると、尾灯の装備がなく、リアフェンダーも取り付けられておらず、また、後輪タイヤトレッドの溝が深いなどの差異があるほか、ハンドルがU字ロボットハンドルではなくドロップハンドルであるなど車体構造で運転の安全に影響すると思われる点も大きく異なっていることを看過することができず、特に尾灯の装着やその構成部材を無視している点は、被害車両については衝突部位が複数あって撃心が分散され操縦安定性に支障を来したと推認されることを考慮の外においたもので相当とはいえないこと、〈2〉実験において自動二輪車の運転を担当した運転者は追突されることを予期して転倒回避のため運転技術を駆使していたものと認められ、この点逃走することだけを念頭に措いていた本件被害者の場合とは異なると認められること、〈3〉実験において乗用自動車が時速差一、二キロメートルで自動二輪車の直径約六二センチメートルの後輪へ乗り上げる量は、自動二輪車が停止時の場合に二〇センチメートル余り、自動二輪車が時速三五キロメートルの場合に三〇センチメートル余りとなっているが、本件の被告人車両の被害車両の後輪への乗り上げ量は前記のとおり被告人車両前部の最大永久変形量の約一五センチメートルよりも少なかったというべきであるから、同実験の乗り上げ量は本件の場合よりかなり上回っていること(このような結果が生じたのは、両車の衝突部位や形状材質等が異なっていること、乗用自動車側が追突直後から制動を行っているため前方への荷重移動が生じたこと、自動二輪車が転倒しなかったことなどによるものと認められる。)などの問題点があり、同鑑定における実験結果を本件の場合にそのまま当てはめることはできない。所論は採用できない。

イ また、所論は、被害車両後輪は追突を受けたとされる本件交差点直前付近において回転していたところ、回転するタイヤはスリップしていないからほとんどスリップ痕をつけることはないし、かりにつけるとしても〈1〉及び〈2〉のタイヤ痕のように濃いスリップ痕をつけることはなく、濃いスリップ痕を付けるのはタイヤがロックしていたときだけである、などと主張する。しかし、回転するタイヤであってもタイヤ痕が生ずる場合があることは、前記のとおりであって、ロックしなければタイヤ痕が付かないというのは誤りというほかない。所論の引用する江守一郎の原審供述においても、一般論としては、「回転していれば、目に映るほど濃いタイヤ痕は印象されない。荷重いかんではタイヤ痕が印象される。」と従前の同人の証言を訂正しており、現に、本件においても、「中央付近の追突痕」の中には下から上への方向性のある濃いタイヤ痕が印象され、回転するタイヤがタイヤ痕を残しているのである。ちなみに、本件において、被害車両が半径約三一センチメートルの後輪タイヤで被告人車両フロントバンパースカート上部の地上高約六二センチメートルの部位から下方の部位にタイヤ痕を付着させる場合、すなわち被害車両後輪が被告人車フロントバンパーと垂直に接触しているだけの場合と、被害車両後輪が被告人車両前部ナンバープレートの中間より下方を最深部が一五センチメートルにいたらない程度後方に押し込めることにより被告人車両前部に乗り上げられた場合、すなわち被害車両後輪が被告人車両前底部にいわば押さえ付けられた場合とでは、衝突という〇・一五ないし〇・二秒という短時間の間でも時間的なずれがあり、同後輪に対する荷重が大幅に違ってくるのであって、同後輪は、前者の場合にはある程度回転しているが、後者の場合には相当程度回転を抑止されたスリップ状態にあり、タイヤ痕の濃淡も異なってくると想定される。しかし、いずれにせよ、ロックを前提とするものではなく、所論は理由がない。

ウ さらに所論は、江守一郎作成の鑑定書(原審弁五)及び同人の原審供述(以下「江守旧鑑定」ということがある。)に基づいて、〈1〉のタイヤ痕は他の自動車のタイヤ痕であって、〈2〉のタイヤ痕は被害車両が急制動をかけロックされたことによる同車両前輪のタイヤ痕である、と主張する。しかし、〈1〉のタイヤ痕を被害車両のタイヤ痕ではないというのは前述のように不自然であるし、また、通常ロックされているときのタイヤ痕はゴム質の付着していない部分があるとともに、幅がほぼ同一で一本の帯のような痕跡となるのに、〈2〉のタイヤ痕については〈1〉のタイヤ痕と同様に凹凸部分を見るとゴム質の付着していない部分がないこと、タイヤ痕に濃淡があり不揃いで斉一性がないことからすると、それが急制動をかけたことによるタイヤ痕とは認め難いのであって、所論を採用することはできない。

(5) 〈1〉のタイヤ痕に関する結論

以上検討してきたことによれば、〈1〉のタイヤ痕は、被害車両後輪によるものであること、〈1〉のタイヤ痕幅は序々に幅広となっていて空白帯が生じるほどに荷重が増加したもので、被害車両が急制動というような単独で印象させることのできない痕跡であること、他方、被告人車両の「中央付近の追突痕」は、被告人車両に印象されている三回の追突痕のうちで最も強く追突して被害車両後輪に乗り上げたことにより生じたものであり、その際同後輪のタイヤ痕に空白帯を生ずるほどの相当の荷重がかかっていたことを示すものと理解して不合理ではないこと、ということになる。これに加えて、環状七号線を右折してから被告人車両と被害車両が進行してきた道路上には〈1〉のタイヤ痕の地点以前に本件と関係のあるタイヤ痕の存在等が認められなかったこと、右のように解することは後述する〈1〉のタイヤ痕が生じた以後の被害車両及び被害者の動きとも矛盾しないことからすると、〈1〉のタイヤ痕は被害車両後部に被告人車両が「中央付近の追突痕」を生じた追突をした際に被害車両後輪によって印象されたと認めるに十分である。

(6) 〈2〉のタイヤ痕及び〈3〉のタイヤ痕についての補足説明

〈2〉のタイヤ痕については、〈1〉のタイヤ痕に近接した位置にあり、かつゴム質が強く付着しているなど同タイヤ痕と同じ状態が見られることなどから、被害車両後輪によるものと認めるのが相当である。そして、被害車両の後輪タイヤトレッドに被告人車両前部のエアダクト素材と同種の塗膜片が付着して汚れも剥離もないこと、藤岡報告、同人作成の走行実験結果報告書(甲三九)及び同人の原審供述によれば、被告人車両のエアダクトと同一部品番号の素材を被害車両後輪と同種又は白バイのタイヤに付着させて走行させた実験をしたところ、約八〇メートル走行して剥離現象が起こるなどしていることからすると、右塗膜片は被害車両が左横転する直前の追突によって付着したものであり、〈2〉のタイヤ痕が右追突の際被害車両後輪によって印象された可能性は否定できない。しかし、被告人車両のエアダクトの損傷が軽微であって被告人車両が被害車両後輪に乗り上げたとは認められないこと、〈2〉のタイヤ痕については〈1〉のタイヤ痕付近の追突後被害車両が被告人車両から離れる過程で左傾しながら横滑りするという動きの下での後輪のタイヤ痕と解することも可能であることなどからすると、〈2〉のタイヤ痕が同地点付近で再度の追突があった際のものとは断定し難い。また、「薄い追突痕」が生じたときのものと認めるに足りる根拠もない。

次に、〈3〉のタイヤ痕は、前述したように、被害車両の前輪によるものであるところ、その始点が同後輪のタイヤ痕である〈2〉のタイヤ痕終点から〇・九五メートル前方にあり、被害車両の前輪と後輪との軸間距離一・三四メートルの範囲内のものであることからすると〈2〉のタイヤ痕が印象されている途中に同時に印象された部分があることになるから、〈2〉のタイヤ痕について被告人車両の「エアダクト付近の追突痕」あるいは「薄い追突痕」が生じたときのものということもできない以上、〈3〉のタイヤ痕についても同様である。

なお、これまで検討してきたところによれば、被告人車両の三回の追突痕のうち「薄い追突痕」が生じた追突は、〈1〉のタイヤ痕が印象された以後ではなく本件交差点直前よりも前に発生したとも考えられることになるところ、このことは被告人が捜査段階で本件交差点直前よりかなり手前でも追突したことがある旨供述している点とも符合する。

4  追突後の被害車両及び被害者の挙動

被害車両が追突されて転倒した後の被害車両及び被害者の動きについては冒頭にその大要を認定したところであるが、ここで詳細に検討する。

(1) 被害車両及び被害者の最終停止の状況

関係証拠によれば、被害車両は被告人車両に追突されて転倒した後本件交差点内南側ガードレール付近で停止し、被告人車両はその左側直近で同ガードレール及び歩道側カーブミラーの支柱に衝突後その場を立ち去っていることが明らかであるところ、

ア その直後に現場に駆け付けた警察官の千葉茂は、被害車両が左側を下にしてガードレールに対してほぼ直角の態勢で前輪をガードレールの下をくぐらせて横転していること、被害者であるAが(その手足の状態は不明であるが)被害車両の上にうつ伏せになり顔を前輪スポークの上に乗せガードレール下縁に右肩口付近から左腰付近を挟み込まれるようにしていてその身体を引き出すことができない状態であり、駆け付けたレスキュー隊がガードレールと西側支柱とを固定していたボルトを取り外してAを救出したことを現認していること、

イ 被害車両については、その前輪右側のホイール等に血液痕があり、右側エキゾーストパイプの右側面にも繊維片が溶融状に固着するなどしていたこと、また、Aの着衣については、ジャンバー及びトレーナーズボンの前面の生地が溶融するなどしていたこと、さらに、Aの身体については、前面において、心窩部から季肋部にかけて革皮状になった火傷があり、臍窩から恥骨までの間にも格子模様や生地痕の混じる軽度の火傷が広範に生じ、陰茎にも同様の火傷があり、また、左肩胛下縁部から左季肋部にかけての正中から左後腋窩線の間には斜め下方に向かうやや狭小の帯状皮膚変色と表皮の剥脱が五条あり(以下「左背胸部の線条表皮剥脱」という。)、さらに、肋骨に多発骨折があって胸椎が第九肋骨の位置付近で離断骨折し、胸椎その他内臓等にも損傷を生じていること、

ウ ガードレール下縁は路面から三一・五センチメートルの高さしかないこと(なお、これとAの身体の厚さ等との関係については、(2)参照)、

からすると、Aは頭部を左転倒した被害車両の前輪スポークの上に、心窩部付近をエキゾーストパイプの上に、臍の下辺りを冷却フィンに乗せ、ガードレール下縁に左季肋部の正中付近等を強く挟み込まれて最終停止していたと認められる。

原判決は、「被害者はガードレールに強く挟み込まれてはいない。」と認定しているが、これは所論のいうとおり事実を誤認しているといわざるを得ない。

(2) 最終停止の態勢のままくぐりこむことが不可能であること

ところで、逸見鑑定によれば、Aの身体の厚さは、頭部が一七センチメートル、胸部が一七・五センチメートルであり、被害車両は、前輪タイヤが九センチメートル、前輪軸が二五センチメートル、シリンダーブロックが二五センチメートルであり、左転倒の状態で、前輪の最も低い位置でも一四・一センチメートル、ホークアウターチューブが約二六センチメートル、シリンダーブロックは約三一センチメートルとなるから、被害者が最終停止の態勢のままその頭部や背中をガードレール下縁をくぐりこませて歩道側まで入ることは不可能である。

(3) 被害車両転倒後の態勢の変化

そこで、この事態が発生した原因を検討すると、被害車両及びAは、被告人車両に追突されて人と車両がクロスする状態で路面を滑動したが、その間も被告人車両と接触し、ガードレール下縁まで押し込まれたために右背胸部の線条表皮剥脱が形成され多発骨折等が生じ、一方、Aの顔面は被害車両の前輪右側にあってガードレールの下を通過したものの、被告人車両の右下部が被害車両の燃料タンクやAの身体を押し込んだ結果、被害車両前輪等が右側に移動して前輪リムがAの下顎部に当たり同部に創傷を生じさせたとの説明が可能である。

すなわち、関係証拠、特に逸見鑑定に基づき、この点をさらに詳細に述べると次のようになる。

ア 被害車両は、被告人車両に〈1〉のタイヤ痕付近で追突されたが、同タイヤ痕の約一メートル先の辺りから(右方にやや弧を描いているなどのことから、ヨー運動を起こして左傾するとともに)被告人車両と分離し始め、〈2〉及び〈3〉のタイヤ痕付近では(〈2〉のタイヤ痕は濃淡が不揃いで幅にも斉一性がなく、〈3〉のタイヤ痕がスカーフ等の印象であり前輪に切れ角が生じていることなどから)転倒直前の状態となって右斜め前方への進路をとり、〈4〉の擦過痕の始点付近で左に転倒して路面を滑走していった。

ところで、被告人車両右前照灯及びバンパー上面付近には人と車両との衝突事故の場合によく認められる特徴痕跡である生地痕があり、その前照灯の中心地上高は約六九センチメートルであることからすると、被害車両が被告人車両に追突され転倒しかかった途中でAの身体の一部が被告人車両に接触し、これが被害車両の進路を右斜め前方に変化させた一要素となった。

イ 被害車両は、転倒滑走後は左ハンドル等を路面側にして摩擦進行していった。しかし、Aの身体や着衣には路上滑動による損傷がないことや前記挟み込まれていた姿勢などからすると、左転倒した被害車両の右側に頭部を左側に足を出してクロスしたうつ伏せの姿勢で滑動していた。

この滑動中のものとみられる〈4〉の擦過痕の途中に抉りの強い擦過痕があり、その後の擦過痕が右に緩やかな弧を描いていること、地上高二三センチメートルの被告人車両右前面下部フロントスカートに生地痕が印象されていること、Aの左膝蓋部には表皮剥脱を伴う皮層変色と回転する車輪に轢圧または轢過されたときに生じるデコルマンなる創傷が膝蓋直下にあること、被告人車両右側面バンパースカートには被害車両燃料タンクと同種の塗膜が付着していること、右前輪タイヤショルダー部には生地織目痕様の印象があり、ホイールキャップにも被害車両燃料タンクと同種の塗膜様のものが付着していることなどからすると、右の抉り痕の地点で横転後の被害車両とAは速度の上回る被告人車両の右側面等で押し出され、引き続き前方へ押しやられる状態が続き、身体と被害車両がクロスする姿勢のままガードレールに突入したものと認められる。

ウ その際、Aの左背胸部とガードレールとの衝突圧力によりA及び被害車両の前進力が抑えられたのに、被告人車両の右下部が被害車両の燃料タンクやAの身体を押し込んだ結果、Aとクロスしていた被害車両の前輪が右側に移動して、前輪リムがAの下顎部に創傷を与えるとともに前輪の上にAの頭部が乗る状態になり、最終的には、Aは前記のように心窩部付近を被害車両のエキゾーストパイプの上に乗せるなど火傷を負うような態勢で被害車両とほぼ重なり合ってガードレール下縁に強く挟み込まれた。

以上のとおり、被害車両及びAの身体は、〈1〉のタイヤ痕地点付近での追突以後も被告人車両から押されるなどの接触があったために、ガードレール下縁を越えて歩道側に押し込まれたと認められる。

(4) 所論に対する判断

ア 所論は、江守旧鑑定をもとに、Aが(被害車両にブレーキを掛けたことにより)被害車両より先に飛翔してガードレール下に突っ込み、続いて滑走してきた被害車両によって楔状にガードレール下に押し込まれた、と主張する。しかし、これまで検討してきたように、被害車両がブレーキを掛けた形跡のないこと、Aが飛翔したのでは被告人車両に印象されている高い位置にある右前照灯及びバンパー上面の生地痕を説明し難いこと、Aがガードレール下に入った後に被害車両が身体の下部に突入したとすると下顎部の創傷のみならず顔面等の他の部位にも何らかの創傷が生じなければならないし、着衣にもこれを示す損傷が生ずるはずであるのに、これらが認められないことからして、所論は採用できない。

イ 所論は、被告人車両にある生地痕や払拭痕や繊維片等は被告人が本件後被告人車両をナイロンたわしで拭いた後タオルで拭いたりした結果であり、右前照灯の生地痕もナイロンたわしで拭いたことにより生じたもので、被告人車両がAの身体に接触して生じたものではない、と主張する。しかし、まず雑巾等で拭いただけでは生地痕あるいは生地織目痕は印象されないと認められるうえ、被告人は、原審公判(第一六回公判)において「タイヤの痕が消えるなら落とそうと思い、フロントバンパーを洗った。タオルで拭いた。」旨供述しているにとどまっているのであって、ナイロンたわしで拭いたということは当審において突如言い出したものであり、また、拭いた部分について、被告人は、「バンパーを拭いた」「ナンバープレートのタイヤ痕は落ちないと思ったので、それなりに止めてしまって、ガードレールの塗装がついていたのを落とした」「落ちるなら落とそうと思ったが、もうバンパーを替えると考えたらばかばかしくなって、落としても意味がないから途中で止めた。」など供述しているところ、被告人車両には前部バンパー以外にも右前輪タイヤショルダー部及びタイヤトレッド部さらには右前照灯にも生地織目痕様の印象があるのであって、これらの諸点に照らし、所論は到底採用できない。

ウ 所論は、〈1〉のタイヤ痕の地点付近で被害車両が追突されたのであれば、Aは後ろにのけぞるはずであるから、被害車両より先行し、又は被害車両とともに被告人車両から押されるということは考えられないと主張する。しかし、江守新鑑定における実験において追突された自動二輪車の乗員がのけぞることがなかったことからみても所論のように断ずることはできないというべきである。

5  その他の所論に対する判断

所論は、被害車両のリアフェンダーの左側取付部だけが割損して最終停止時に右側に回転移動していたこと、あるいは尾灯レンズ等の破片が追突された地点であるはずの〈1〉のタイヤ痕の付近に落ちていないで最終停止していたガードレール付近に散乱していることから、〈1〉のタイヤ痕付近では追突しなかったと主張する。右リアフェンダーの回転移動等については証拠上その原因を一義的に解明することはできないが、既に詳細に認定した事実に照らし所論を根拠づけるに足るものとは認められない。なお、所論は、他にも種々主張するが、右認定事実を左右するに足りるものではなく、結局、所論はいずれも採用するに由ないものである。

二  被告人の供述(被告人の捜査段階の供述の任意性及び信用性)について

所論は、原審が証拠として採用し、原判決が事実認定に供した被告人の捜査段階の供述には任意性がなく信用性もないと主張する(任意性のない供述を証拠としたとの主張は、本来、訴訟手続の法令違反の主張と解されるが、便宜、ここで検討する。)

しかし、この点に関する原判決の説示するところは正当であって、被告人の捜査段階の供述には任意性があり、かつその信用性は高いものと認められる。まず、被告人の取調べを担当した警視庁交通部交通捜査課所属の警部補諸岡実は、原審において、被告人に対して欺罔、脅迫、利益誘導等をしなかったと供述しているところ、その供述内容に不自然なところはないこと、被告人が池上警察署に出頭して自ら上申書や自首調書を作成していること、逮捕勾留された後の被告人の供述経過や実況見分時の指示説明経過、特に、弟との共謀を一貫して否定し、また被告人車両と被害車両との最初の接触地点に関する供述を変更しながら本件交差点の直前で被害車両に追突したとする供述は一貫して維持していることなどからすると、被告人の捜査段階の供述に任意性があることは明らかである。

そして、右捜査段階での被告人の供述は、本件交差点の前でも被告人車両が被害車両に追突したこと、被告人が本件交差点直前で被告人車両を時速約三五キロメートルに加速して被害車両に追突させたこと、するとバイクのテールランプも少年の姿も見えなくなり、同時に正面が行き止まりで、目の前にガードレールがあるのが目に入ってきたことなど、体験したものでなければ表現できない臨場感のある内容のものであり、かつこれまで検討してきた客観的状況にも符合するものであり、十分信用できるといわなければならない。これを否定する被告人の原審及び当審供述は、被告人車両に残された追突の痕跡や路上に残されたタイヤ痕などの客観的情況に反し、到底信用することができない。

なお、被告人の弟であるBの本件交差点直前では衝突していない旨の原審供述も、同様に客観的状況に反していて、信用し難いものである。

三  因果関係及び故意

被害者は、〈1〉のタイヤ痕付近での被告人車両の被害車両への追突により被害車両もろとも転倒滑動してガードレールと被害車両の間に挟まれるなどし、心窩部、左右季肋部、腹部等の熱傷を伴う擦過傷、打撲もしくは圧迫傷という致命傷を受傷したことにより、胸腹腔内臓器損傷を原因として死亡したもので、右追突と死亡の間に因果関係があることは明らかである。

そして、右追突の客観的状況に加えて、被告人の捜査段階における供述によれば、被告人は、Aにつきひき殺すとか重傷を負わせるとの意図を有していたとまでは認められないにしても、被告人車両を意図的に被害車両に追突させてAに暴行を加える故意があったと認めるに十分である。

以上の点に関する所論は、本件交差点直前での被告人車両による被害車両への追突を否定したうえで、因果関係と故意を否定するもので、これまで検討してきたとおり理由がない。

また、被告人車両が被害車両と追突したのは、被害車両と追突しようとしたのではなく、被害車両が急ブレーキを掛けたことによるのであって、被告人に追突する意図はなかったから暴行の故意がない旨の所論も、〈1〉のタイヤ痕が印象された当時被害車両がブレーキを掛けた形跡のないこと、被告人車両は被害車両に少なくとも三回追突していること、被告人は覆面パトカーを装いミュージックホーンを鳴らし被害車両を相当時間追跡していたことなどに照らし、採用できるものではない。

四  結論

以上のとおりであるから、原判決が、〈2〉のタイヤ痕付近でも〈1〉のタイヤ痕に続いて被告人車両前部エアダクト付近が被害車両後輪に追突したとし、あるいは各追突時に被告人車両が加速していたと認定した点については、客観的情況上そのように断定することができず、また、Aがガードレール下縁で被害車両と強く挟まれていなかったとした点等についても事実の誤認があるといわざるを得ない。

しかし、これまで検討してきたところによれば、被告人が、被告人車両を運転して〈1〉のタイヤ痕付近で被害車両に追突し、Aを被害車両もろとも転倒させる暴行を加え、その結果同人に胸腹腔内臓器損傷の傷害を負わせて死亡させたとの原判決の認定はこれを肯認し得るのであって、細部の点に関するものである右の事実誤認が判決に影響を及ぼすとはいえず、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文により、被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林 充 裁判官 若原正樹 裁判官 小川正明)

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